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第12回 「難波田城跡」(なんばたじょうあと)

前回同様、埼玉県の城跡です。今回は埼玉県富士見市にある「難波田城跡」(なんばたじょうあと)を紹介します。中世に当地を本拠として活躍した難波田氏の城館跡で、平成12年に難波田城公園として整備されました。難波田氏は、平安末期に成立した武士団「武蔵七党」のひとつ、村山党の金子氏を祖とします。鎌倉時代にその一族が現在の富士見市に居を構え、難波田という地名をとり、難波田氏となのるようになったのが始まりです。後に北条氏の支城となり、1590年の同氏滅亡と共に廃城となっています。(富士見市立難波田城資料館編集・発行の「難波田城公園」より)

写真1: 本城門と石碑。本城つまり本丸の部分は、現在民家が建っている。公園の敷地は全体の城跡の一部でしかない。周囲は、民家以外は一面の田んぼである。

写真2: 城跡の中に残る小さな丘。このあたりは、近くを流れる荒川の氾濫に悩まされた土地である。そのため、洪水の時に大事な物を避難させるために作った丘である。その後、難波田という地名がよくないということになり、南畑と改名した。ちなみに公園のあるところは現在、富士見市大字下南畑である。

写真3: 公園の中は、水堀が復元されている。城の面影を残す、唯一のものである。中世の城跡だけに、残っている物といえば堀だけであり、建物はない。堀の脇に立っている木造の建物は資料館である。平地、それも田んぼの中にある城跡だけに、これといった特徴がない。しかしこのあたりは、史跡の少ないところだけに、今では貴重な歴史施設である。

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